平尾昌晃氏は、1958年キングレコードより「リトル・ダーリン」で歌手デビュー。
ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともにロカビリー三人男として日劇ウエスタンカーニバルで爆発的な人気を博しました。
ロカビリーブーム終焉後、自らが作曲を手がけた「おもいで」が北海道よりじわじわと火がつき、再ブレイク。同曲は当時新人だった布施明が1966年に再レコーディングしてヒット、続けて「霧の摩周湖」、「恋」、さらに梓みちよに提供した「渚のセニョリーナ」などがヒットとなり作曲家としての才能を現しました。
1970年代に入ると、ソフトな演歌からポップス調まで多岐にわたる作風の楽曲を提供し、1971年「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、1972年「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、1973年「夜空」(五木ひろし)などが大ヒットを記録。また、1974年に平尾昌晃音楽学校(現平尾昌晃ミュージックスクール(HMS)を創立し、狩人、畑中葉子、石野真子、川島なお美、松田聖子、川崎麻世、森口博子、倖田來未、西田あいなど多くの才能を見出しました。生徒の一人であった畑中葉子とデュオを組み1978年にリリースした「カナダからの手紙」は大ヒットとなり、同年の第29回NHK紅白歌合戦に出場、国民的歌手としてその名を馳せました。
さらに、1980年代はNHKの人気番組『レッツゴーヤング』の司会や、ものまね番組の審査員などバラエティ番組にも携わる一方、テレビドラマ『熱中時代』や『必殺シリーズ』、アニメ『銀河鉄道999』の音楽も担当し、名作とともに人々の心に残る名曲を生み出しました。
歌手として、作曲家として、抜群のタレント性をもって明るくエネルギッシュに昭和の歌謡界をリードしてきた平尾昌晃さん。
氏の功績に敬意と追悼の意を表すとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。