Column コラム

公開日: 2025.06.19

更新日: 2025.06.19

脳を彩る音楽の力(2)認知症症状とデュアルタスク

東京大学の宮﨑敦子先生に、音楽がもたらす脳活動や認知症症状の改善への効果とその特徴についてお話を伺いました。

 

昔の音楽を聴いて、ふと当時の体験や記憶がよみがえった経験はありませんか。音楽には、私たちの脳を活性化する不思議な力があります。音楽と脳活動の関係や認知症改善・予防への効果、音楽をより活用するためのヒントなどについて、脳科学者でありDJでもある東京大学の宮﨑敦子先生にお話を伺いました。全3回でお届けします。

―前回(第1回)のお話の中で、音楽と運動性の相性が良いと教えていただきました。宮﨑先生の著書でもデュアルタスクトレーニングを紹介されていますが、そもそもデュアルタスクがどういうものなのか、簡単に解説していただけますでしょうか。

デュアルタスク(二重課題)というのは、いくつかの事を同じ時間の中で並行して行うことです。同時に複数のことをすると、それぞれに集中しづらくなり、パフォーマンスが遅くなったり、間違いが起きやすくなったりすることがあります。例えば、歩きながら喋ることもデュアルタスクにあたります。若い方は歩きながら喋ったり、スマートフォンを操作したりすることが日常的にできていますよね。しかし、認知機能が衰えつつある高齢者は歩きながら喋ることが難しくなるのです。その理由は加齢そのものより、認知機能の低下と関連しています。軽度認知障害を有する高齢者では、二重課題で歩き方がぎこちなくなったり、極端に遅くなったりする方ほど認知症になるリスクが2〜4倍も高くなることが知られています❶。また1から順番に、指を1本ずつ折りながら数を数えることは、皆さん難なくできますよね。しかし、認知症がある方ではこれが難しくなります。認知症の症状のひとつで、以前できていたことができなくなる状態を「失行」といいます。指示の模倣ができないのか、指示の内容が理解できないのか、あるいは運動機能の問題なのか…さまざまな原因が考えられます。認知症の予防や進行を遅らせるためには運動がとても効果的だとわかっていますが、失行があると効果的な運動プログラムに参加できず、効果を得るチャンスを逃してしまっているのではないかと感じます。そこで、失行のある方でも取り組めるプログラムを開発する研究に力を入れています。

―デュアルタスクトレーニングに音楽を取り入れることによって、よりよくトレーニングができるというような影響はあるのでしょうか。

先ほどお話しした指を使って数を数える動作は、本来、麻痺があるかないかを確認するために使われる簡単な検査方法です。しかし、認知症がある方の場合、麻痺がなくてもこうした単純な動きが難しくなることがあります。ところが、みんなで一緒にドラムを叩くと、数を数えながら指を動かすことができない方でも、初めてドラムを触る方でも、自然に楽々とドラムを叩き、周囲のリズムに合わせて上手に演奏できます。また、認知症だけでなく、パーキンソン病の方にも同様の効果が見られました。初めはドラムを叩くこと自体が難しく、リズムに合わせて腕を上げるのも困難でしたが、2か月間ドラム演奏を続けることで腕をしっかり上げてリズムに合わせて叩き、さらに足でリズムを取ることができるようになるなど大きな変化が見られました。パーキンソン病の方は表情が硬くなりがちですが、ドラム演奏を通じて表情豊かにみんなと一緒に演奏できました。
ドラム演奏のプログラムは、まさにデュアルタスクトレーニングの一例です。周囲のリズムを聴き取りながら身体を動かしてドラムを叩くという二重課題ですが、音楽を使うことで苦労を感じず、むしろ楽しくできるのです。ただ腕を100回上げ下げ運動をするというのは大変ですが、ドラムを100回叩くのはあっという間に感じますよね。実際、3か月間ドラム演奏を続けた方は、両腕を高く上げる際の肩の角度が平均6.14度向上し、手首を手のひら側に曲げる動きの角度も平均10.91度改善しました。一方、ドラム演奏をしなかった方は肩の角度が平均5.88度低下しました。

―認知症の場合、脳萎縮の進行も考えられますが、そのような脳の状況に対する効果もあるのでしょうか。

仰るとおり、アルツハイマー型認知症では、脳内に異常なたんぱく質が蓄積し、神経細胞が徐々に失われることで脳の隙間が多くなり、脳の体積が健常者と比べて大きく減少します。しかし、そのような状態にある方でも明らかにドラム演奏が上達するのです。できなかったことができるようになるという事実は、脳の白質(脳の神経線維が集まっている部分、情報伝達の役割を担う)が活性化され、その体積が改善している可能性を示唆していると思います。今後、この仮説については実験を通して明らかにしていきたいと考えています。実際に、ドラムトレーニングを3か月間行った結果、認知症のスクリーニングテストであるMMSE(ミニメンタルステート検査)のスコアが平均2点向上しました。MMSEは一般的に23点以下だと認知症の疑いがあるとされています。トレーニングをする前のスコアが平均12点程度だったため、認知症が完全に回復するわけではありませんが、相手の演奏を感じ、自分が今何をしているかを認識したり、ドラム演奏を楽しんだりする意欲の向上につながっていると感じています。一方、ドラムトレーニングを行わなかったグループでは、同期間でMMSEスコアが平均3点低下しました。このことからドラムトレーニングには認知機能の低下を防ぐという効果が期待できると考えています。

ドラムを叩くとき、腕の力こぶにあたる二頭筋が腕を持ち上げる動きを担当し、三頭筋が腕を下ろす動きを担当します。二頭筋は加齢の影響で衰えやすいですが、ドラムのバチが跳ね返る力を利用して、腕を持ち上げる動きを補助します。一方、三頭筋は加齢の影響を受けにくいため、虚弱な方や認知症の方でも長い時間、安定してドラム演奏を行うことが可能です。ビートを聴くことで運動の準備に関連する脳の活性化を促されドラムを叩くことができ、上肢の動きが改善すると、着替えが楽になったり、自分でスプーンを口元まで運べたりと、日常生活動作の改善につながる可能性があります。他の人と一緒に演奏することがモチベーションにつながるのも重要な利点です。
認知症が重度であっても、何もできなくなるわけではありません。ドラム演奏は、その方らしい自己表現であり、自分自身の時間をしっかりと感じられる機会となります。私は、その方らしい時間を過ごすことが、ドラム演奏を通じて実現できると考えています。ドラムトレーニング1つで、運動効果ばかりでなく、脳の活性化効果やコミュニケーション促進効果も期待できるということですね❷。

私が認知症の方を対象とした研究を始めるきっかけとなった論文❸があります。ヨーク先生という方が、重度の認知症の方々を対象に音楽能力のどの部分が残っているかを調べた研究でした。その結果、楽器の判別やメロディの認識は困難な場合が多く、音の高低(ピッチ)の把握も曖昧でした。しかし、その曲を知っているか否かという音楽的記憶と、音楽に合わせるリズム機能は残っていました。この2つの能力は、私たちが生涯にわたって保持している可能性があり、非常に重要な能力だと考えています。
音楽的記憶の中でも、特に長期記憶は残りやすい傾向があります。人には音楽の影響を受けやすい時期があり、その時期に触れた音楽の記憶や体験は強く残りやすいという研究が多数なされています。一方で、最近の記憶はやや覚えにくくなる傾向があり、認知症の方は特に顕著です。しかし、全く覚えられないわけではないのです。
以前、軽度認知障害のある高齢者の方を対象に歌本カラオケトレーニングの研究を行ったことがあるのですが、最初は「男だから女の歌は嫌だ」とか「演歌じゃないと嫌だ」といった意見が多く聞かれました。しかし、新しい曲をたくさん覚えるカリキュラムであることをお伝えした上でトレーニングを進めていくと、徐々に演歌や性別といったこだわりは薄れていき、最終的にはAKB48さんの『ひこうき雲』を歌っていました❹。ですから、後から得た記憶であっても、トレーニングや練習などのキッカケを与えれば、記憶にも残るし歌おうと行動するのです。高齢者の方でも、新しい音楽を覚えられる脳の余力はまだまだあるように感じました。「もう覚えられない」という自分の思い込みが、能力の発揮を妨げている可能性もあるかもしれませんね。

第3回はこちら

東京大学 先端科学技術研究センター 宮﨑敦子先生

博士(医学)。東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野特任研究員。専門は脳と音楽の関係で、ドラムを用いた認知症予防・改善プログラムの研究を行う。著書に『すごい音楽脳』(すばる舎)。Dr.DJ.ATSUKO名義でDJとしても活躍中。 

参考文献:

❶ Montero Odasso, et al. (2017)”Association of Dual-Task Gait With Incident Dementia in Mild Cognitive Impairment: Results From the Gait and Brain Study” ,JAMA Neurol. 2017Jul 1;74(7):857-865.
❷ Atsuko Miyazaki, et al. (2020)” Drum Communication Program Intervention in Older Adults With Cognitive Impairment and Dementia at Nursing Home: Preliminary Evidence From Pilot Randomized Controlled Trial”, Frontiers in Aging Neuroscience 12 142-142
❸ York (1994)“The Development of a Quantitative Music Skills Test for Patients with Alzheimer's Disease” ,Journal of Music Therapy
❹ Atsuko Miyazaki and Hayato Mori (2020)” Frequent Karaoke Training Improves Frontal Executive Cognitive Skills, Tongue Pressure, and Respiratory Function in Elderly People: Pilot Study from a Randomized Controlled Trial”, Int. J. Environ. Res. Public Health,17(4), 1459

キーワード:デュアルタスクトレーニング・認知症・高齢者・音楽的記憶

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