Column コラム

公開日: 2025.07.08

更新日: 2025.07.08

脳を彩る音楽の力(3)音楽がつなぐ人と空間

東京大学の宮﨑敦子先生に、音楽がもたらす脳活動や認知症症状の改善への効果とその特徴についてお話を伺いました。

 

昔の音楽を聴いて、ふと当時の体験や記憶がよみがえった経験はありませんか。音楽には、私たちの脳を活性化する不思議な力があります。音楽と脳活動の関係や認知症改善・予防への効果、音楽をより活用するためのヒントなどについて、脳科学者でありDJでもある東京大学の宮﨑敦子先生にお話を伺いました。全3回でお届けします。

―DJとしても活躍されている宮﨑先生だからこそ実感した音楽の効果がありましたら、ぜひ教えてください。

やはり私のDJのボス(ホアキン・ジョー・クラウゼル氏)が言っていた、「音楽が人をコネクトする」ということです。私が普段DJとして活動するクラブは、DJのプレイに対し人々が一体となって音楽を楽しみ、親睦を深められる場所です。比較として、渋谷のスクランブル交差点を例に挙げましょう。そこには多数の人が存在しますが、すれ違う人々は素通りするだけで、ハイタッチを交わすような交流はありません。しかしクラブでは、見知らぬ人同士がハイタッチを交わし、互いの感情を共有し合います。同じ音楽体験を共有して、一体感を味わえる。これこそが、音楽の持つ素晴らしい効果だと思います。
DJとして活動する際、私は聴衆が盛り上がりを見せるであろう曲、あるいはクールダウンに適した曲を事前に想定しています。そして、その場面や時間帯に合わせて選曲することで、聴衆はおおむね予想通りの反応を示すのです。このように、音楽を通じて人々の行動をある程度コントロールできる点にも、DJとしての楽しさを感じます。

―USENは店舗用BGMを中心に音楽配信サービスを提供しています。クラブでは音楽を通じて人々の行動をある程度コントロールできるということですが、こうした効果は商業空間にも活かせるでしょうか。

共通する部分があると思います。朝と夕方で人々の気分が大きく異なるように、時間帯によって求められる音楽も変化しますよね。 DJの2時間のプレイにおける「起承転結」と、店舗における1日の「時間帯に合わせた演出」は、広い意味で捉えれば、同じ目的を追求していると言えるかもしれません。

―今、宮﨑先生が注目されている音楽と脳科学に関する研究や、今後の展望についてもお聞かせいただけますか。

第1回でお話ししましたが、以前は「知っている曲よりも知らない曲の方が認知的負荷が高まる」という点に重きをおいていました。しかし最近では知っている曲が持つ力にも改めて注目しています。知っている曲が沢山あるということは、将来年齢を重ねた時に「この曲を聴いた時はこうだった」という記憶を呼び起こすきっかけとなり、人生を豊かに彩ってくれます。そのため、好きな曲や知っている曲を増やせるような仕組みを作りたいと考えています。
例えば、クラブで聴いた曲がその場所での体験を思い出させたり、バンド活動で演奏した曲が当時の記憶を呼び起こしたりするように、音楽は体験と深く結びついているものです。サブスクリプションサービスなどが普及した現代では手軽に多くの曲を聴くことができますが、個人的な鑑賞に留まることが多く、体験とは言えない場合が多いでしょう。しかし、曲と体験が結びつくことで、後からその記憶を容易に振り返ることができ、大切な自分の時間を得ることにつながると思います。私自身の体験ですが、先日車に乗せてもらった際、車内で流れていた軽快な曲に合わせて気分良く過ごしていたところ、悲しい知らせのメールを受信し、その曲が悲しい記憶と結びついてしまいました。このように、体験を通じて記憶される曲は非常に多いはずで、それは音楽との付き合い方をより豊かにしてくれると考えています。

以前、高校生研究員が認知症の方を対象とした映像を用いた回想法の実験をしました。回想法とは、主に高齢者の過去の思い出や経験を振り返り、それを他者と共有する心理療法の1種です。実験の際、過去の体験と結びついているのは映像だけでなく、音楽も同様であるということを強く認識しました。映像は特定の場面を固定化してしまいますが、音楽は聴き手の想像力を刺激し、場面のイメージを無限に広げることができます。このような音楽と体験の結びつきに関する研究、そして人々に新たな音楽体験を提供する機会を創出する仕組みづくりに取り組んでいきたいです。

―USENにも『回想の音楽集』というチャンネルがあります。これは実際に老人ホームなどを訪問して高齢者の皆さんに思い出の曲をヒアリングして制作しています。懐かしい曲を聴くと、昔の記憶が蘇り、ハッとした表情になることがありますよね。その時、脳内では一体何が起きているのでしょうか。もし、この現象に関する研究があれば教えてください。

高齢者に限ったものではありませんが、人が好きな曲を聴いた時の脳活動に関する研究❶があります。私の研究ではありませんが、私の研究に大きな影響を与えたものの1つです。この研究は、音楽の好みが脳活動に与える影響を調べるもので、音の刺激として例えばベートーヴェンの曲やエミネムの曲という、全く異なるジャンルの音楽を用意しました。そして、ベートーヴェンが好きな参加者のAさんと、エミネムが好きな参加者のBさんが、それぞれ好きな曲を聴いた時、嫌いな曲を聴いた時、さらに誰かに曲をおすすめする時の脳活動を測定しました。その結果、それぞれの状況下において脳の活動パターンが異なっていました。しかし、ベートーヴェンとエミネムという全く異なる音刺激であっても、好きな曲を聴いた時の脳活動は共通していたのです。この、「好き」という感情が生じた時の脳活動は、「デフォルトモードネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳の領域の活動と関連しており、DMNは内省、つまり自分自身と向き合う時間を作ることにつながるとされています。DMNが活性化すると、自己に関する思考や記憶が呼び起こされます。つまり、好きな曲を聴くことで、人はふと過去の記憶に浸り、自分だけの時間を持つことができるのです。

さらに、好きな曲を聴くと交感神経が優位になり、瞳孔が開くなど覚醒状態へとつながることが分かっています。穏やかな曲調であっても、好きな曲であれば同様に交感神経が活性化され、覚醒状態へと導かれます。リラックスの定義は様々で、交感神経と副交感神経という2つの側面だけで考えると一見矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、副交感神経が優位な状態だけがリラックスなのではなく、好みの音楽に没頭することで自分だけの世界に入り込み、自分自身と向き合う時間もまたリラックスした状態であると捉えることができるのではないでしょうか。ご紹介した研究からもわかるように、音楽が脳活動に与える影響は、個人の嗜好性に大きく左右されます。一般的な心理実験において、同一の音刺激を与えても対象者によって脳活動が異なるため、BGMとなるとその影響はさらに複雑になると考えられます。BGMの効果は、覚醒や鎮静といった心理的な作用をもたらす一方で、性格特性における「内向性」の強い人、つまり外的な刺激よりも内的な感情を重視する人にとっては、集中を妨げる要因となる可能性も否定できません。このように、音楽の効果は受け手の状態に大きく左右されるため、全ての人に一律の効果を期待することは難しいという課題があると思いますが、その個人差こそ、音楽がその人らしさを表現する上で重要な要素になると考えています。

―USENは様々な人が集う空間に音楽をお届けしているので、その点はとても気になるところです。その場にいる人の耳をふさぐことはできないので、できる限り多くの人が快く感じられるBGMにするために意識すべきことがあれば教えてください。

そうですね。BGMの選曲は、その場所にいる人々の特性や、時間帯、空間の種類など、様々な要素によって軸が変わってくると思います。音楽によってどのような効果が期待できるのかを理解し、慎重に検討することが重要です。例えば、仕事をする空間と運動をする空間では、求められる雰囲気や効果は全く異なります。仕事中にビートの効いたロック音楽が流れていたら、多くの人は音楽に気を取られ、集中力を維持することが難しいのではないでしょうか。しかし、運動をしている時であれば、そのような音楽によって運動のリズムが掴みやすくなったり、エネルギッシュな雰囲気が運動のモチベーションを高めたりすることにつながる場合が多いかと思います。音楽を聴くことにより様々な作用が働くため、空間の目的や利用者に細心の注意を払い、音楽にこだわりを持って活用できたら良いですね。

東京大学 先端科学技術研究センター 宮﨑敦子先生

博士(医学)。東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野特任研究員。専門は脳と音楽の関係で、ドラムを用いた認知症予防・改善プログラムの研究を行う。著書に『すごい音楽脳』(すばる舎)。Dr.DJ.ATSUKO名義でDJとしても活躍中。 

参考文献:

❶ R. W. Wilkins, D. A. Hodges, P. J. Laurienti, M. Steen, J. H. Burdette. Network Science and the Effects of Music Preference on Functional Brain Connectivity: From Beethoven to Eminem. Scientific Reports, 2014; 4: 6130

キーワード:脳科学・脳活動・回想法・好きな曲

コラム一覧ページ