Column コラム
公開日: 2025.05.15
更新日: 2025.05.15
脳を彩る音楽の力(1)音楽と脳活動の関係
東京大学の宮﨑敦子先生に、音楽がもたらす脳活動や認知症症状の改善への効果とその特徴についてお話を伺いました。
昔の音楽を聴いて、ふと当時の体験や記憶がよみがえった経験はありませんか。音楽には、私たちの脳を活性化する不思議な力があります。音楽と脳活動の関係や認知症改善・予防への効果、音楽をより活用するためのヒントなどについて、脳科学者でありDJでもある東京大学の宮﨑敦子先生にお話を伺いました。全3回でお届けします。
―はじめに、宮﨑先生が音楽と脳科学の研究に取り組まれたきっかけを教えてください。
もともとリハビリテーションで博士号を取りたくて、20代の頃はその研究をしていました。当時リハビリテーションを受ける患者さんの多くは、脳梗塞や脳出血の後遺症によるしびれや麻痺を抱えており、リハビリテーションの内容は歩行訓練や単調で反復的な運動療法が中心でした。でも私は、脳の病気が原因の症状だから脳に対して直接的になにかできないのかなと思っていたのです。当時は脳の活動をリアルタイムに可視化する技術がまだありませんでしたが、時代が進むにつれてそれができるようになったので、新しいリハビリテーションを開発できるのではないかと思ったことが脳科学の研究を始めたきっかけの1つです。
一方、音楽の研究に関して言うと、当時から音楽療法はありましたが、リハビリテーションでの音楽の活用についてはパーキンソン病の方にリズムを聴かせることが歩行障害に効果的だという報告が出始めたばかりでした。私はもともと音楽が好きで、特にハウスミュージックを聴いていましたので、それをリハビリテーションにも使いたいと思ってはいましたが、本当に活用できるかというのは、当時はわからなかったですね。
1番大きなきっかけは、私のDJのボス(ホアキン・ジョー・クラウゼル氏)が、「音楽と人をコネクトする」とか、音楽の効用的なことをよくお話しされる方だったのですが、どういうことがコネクトなのか当時の私にはまだ見えていなくて。ボスが言っていることを証明できれば、みんなに音楽の良さや効果を伝えられるかなと思って、音楽についても研究したいと思いました。
―先生はDJとしても活躍されていますが、DJ活動とリハビリテーションの研究、どちらから先に取り組まれたのでしょうか。
それはDJですね。リハビリテーションの研究は人生での課題というか、仕事として取り組みました。実家が代々児童養護施設などを運営しているのですが、先祖から「高齢者と子どもたちが一緒に生活できる施設を私の代で作ってくれ」と言われていて。施設のスタッフは子どもの専門家として働いていますが高齢者の知識はなかったので、私が高齢者の勉強をしようと思ったのです。さらに高齢者となると、慢性疾患や運動麻痺がある方がいらっしゃることが多いのでリハビリテーションの勉強が有効だと思って研究を始めました。ただ、その後施設を作る計画がなくなって。それならDJに注力しようと思ったのですが、まわりまわって今、音楽とリハビリテーションの研究をしていますね。ようやく2つが合わさった感じです。
―脳活動を見ることができるようになるといった技術の進歩や、研究を続けられるなかでわかってきたこともあるかと思います。音楽と脳活動のパフォーマンスにどのような関係性があるのか、ご紹介いただけますでしょうか。
音楽と相性がいいパフォーマンスというのが運動性なのです。音楽は運動を引き出すことが得意なので、運動でパフォーマンスを上げるという研究が数としては多いと思います。音楽で身体を動かして、身体を動かすことで脳のパフォーマンスも上がるということです。そういう研究をするきっかけになった論文のなかに、ビートを聴いている時の脳活動に関する論文➊があります。この論文では200BPMと80BPMの音楽を聴いているときの脳活動を比較しているのですが、どちらの音楽を聴いているときでも脳の活動している場所は変わらないそうです。ただ、200BPMのような速いテンポでは脳活動がより活発になり、酸素やエネルギーの消費が増えるため血流量が増加しますが、80BPMのような比較的遅いテンポでは速いテンポの時よりも増えない、というような内容なのですが、別の論文も含めて、ビートを知覚する脳の場所として必ずリズムに同期しているのは運動前野という領域、ここに必ず信号が届いているんです。これが非常に魅力的な、音楽の特徴です。まあまあテンポが速く、ほどよく脳活動に負荷を与えて、運動しやすい状態を作る。私の好きなハウスミュージックの魅力とも言えるかもしれません。
―ビートが速いと脳活動に負荷がかかるというのは、情報量が多いからでしょうか。
そうです。処理しなくてはいけませんから。そう考えると、同じテンポ感でも構成やリズムが複雑な音楽の方が、負荷がかかるかもしれないですね。あとは、知らない曲を聴くと、脳が新しい音楽情報の処理や分類に多くのリソースを割く必要があるため、知っている曲に比べて認知的負荷が高まります。
もう1つこの論文からわかることは、音楽専用の脳の領域がないということです。そもそも、脳の領域と人の行動は紐づいています。今一生懸命私が喋っているけれど、喋るために必要な脳の領域、逆に話を聞くために必要な脳の領域…といった専用の領域があります。ところが音楽を聴くとなると、脳のさまざまな領域が一斉に関わり合って処理しています。例えばインストゥルメンタル(歌詞のない曲)を聴いている時でも言語野が活動し、それに加えて前頭葉や頭頂葉、側頭葉なども連携して動いています。先ほどご紹介した研究でも、ビートを聴くだけで複数の脳領域が同時に活性化することが示されています。このように、音楽を聴くことは脳全体の広範な活性化を促す、特異的な活動なのです。
―例えば嗅覚など、聴覚以外の脳へ伝達される刺激もありますが、それらに比べて音楽の優位性や特徴はあるのでしょうか。
音楽は脳全体が活動するという点がとても特異的という話をしましたが、そういう脳の機能局在の話をされていたのが川島隆太教授です。川島教授は、数字や文章を声に出して読む音読がとても脳活動を上げるとおっしゃっていて、それは人間にしかできないこと、つまり数字や概念の理解が必要なのです。実際に数字や概念を理解している動物がどれだけいるのか、私は専門ではないのでわからないですが、この数字や文字を理解して使えることは人間特有ですよね。そう考えると、動物は音楽を理解しているとはあまり言えないかなと思います。
例えば、象のオーケストラ(Thai Elephant Orchestra➋)というものがあって、象たちが集団でリズムに合わせて打楽器などを演奏するのですが、どのタイミングで叩いているか演奏を解析すると、一定のテンポを持ってしっかり叩いているのです。しかし、側に人がいていろいろ誘導していたり、餌をあげていたりするのを見ると、象自身が音楽という概念を理解しているのか、あるいは自発的に演奏を楽しんでいるのかを客観的に判断し難いですよね。人間に近いチンパンジーを例に挙げると、バーニーという子はドラムを叩けるのです➌。こちらも一定の間隔で、確かにリズミカルにドラムを叩いています。ただ、バーニーは一人で演奏することはできても、他の仲間と一緒に演奏することはできません。みんなで一緒に合奏できないのです。そう考えると、人間が音楽を理解していたり合奏したりすることは、実は凄いことなのではないかと思っています。
他にも例を挙げると、鳥はリズムを理解できるのです➍。発声学習のできるオウム類やセキセイインコです。リズムが理解できると象やチンパンジーと違って言葉(発声模倣)が使えるようになります。ですから、さらにその先の音楽を理解して演奏するというのは結構高次なことなのです。当然動物も危機管理の中で音を聞き分けますよね。自分にとって危険な音なのかどうなのかは絶対敏感に反応するはずなのですが、それは音楽の前の、音という段階です。
香りに関しては、人間よりも嗅覚の優れた動物はたくさんいますよね。それに比べると、音楽は人間独特だと思います。動物の社会性は高いですが、先ほども言ったように、みんなと一緒に演奏はできない。そういう部分で、音楽はとても人間らしい活動だと思いますし、解明したいところですね。
第2回はこちら
参考文献:
➊ J. Devin McAuley, Molly J. Henry, Jean Tkach. (2012) “Tempo mediates the involvement of motor areas in beat perception.” Annals of the New York Academy of Sciences. Volume1252, Issue1. 77-84
➋ Patel, A. D. (2006). Musical rhythm, linguistic rhythm, and human evolution. Music Perception, 24(1), 99-104.
➌ Dufour, V., Poulin, N., Curé, C., & Sterck, E. H. (2015). Chimpanzee drumming: a spontaneous performance with characteristics of human musical drumming. Scientific reports, 5(1), 11320.
➍ Patel, A. D., Iversen, J. R., Bregman, M. R., & Schulz, I. (2009). Experimental evidence for synchronization to a musical beat in a nonhuman animal. Current biology, 19(10), 827-830.
キーワード:脳科学・脳活動・リハビリテーション・パフォーマンス
東京大学 先端科学技術研究センター 宮﨑敦子先生
博士(医学)。東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野特任研究員。専門は脳と音楽の関係で、ドラムを用いた認知症予防・改善プログラムの研究を行う。著書に『すごい音楽脳』(すばる舎)。Dr.DJ.ATSUKO名義でDJとしても活躍中。