公開日:2024年9月12日
BGMで無意識のうちに行動が決められてしまう?人間の五感に訴えかける「センサリーマーケティング」とは
早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所長 恩藏直人教授へのインタビュー
マーケティングを学んだことがある方なら、一度は「センサリーマーケティング」という言葉を耳にしたことはあるのであるのではないでしょうか。具体的にどのような理論なのか、どういうシチュエーションで使われているのか、研究事例を交えて早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所長の恩藏直人教授にお話を伺いました。
―まずはじめに、「センサリーマーケティング」とはいったいどのような理論なのか、教えていただけますでしょうか。
「センサリーマーケティング」とは、視覚・味覚・触覚・聴覚・嗅覚といったいわゆる人々の五感に対し何らかの刺激を与え、お客様に商品を購入してもらうなど、何らかの行動を引き起こそうとする、マーケティング施策の総称を指します。センサリーマーケティングが本格的に導入されるまでは、「この商品は価格が安い」といった価格訴求のような、“わかりやすい”手法が主に使われていました。テレビなどの広告を用いて、人々の認知や理解を促すというのも分かりやすい手法と言えるでしょう。
しかしセンサリーマーケティングは五感に訴え、無意識のうちに消費者の行動を、何らかの方向に誘導するというものです。
人はある刺激に触れると、それを五感である感覚レジスターで受け、短期記憶で処理します。そのとき同時に、過去の知見などを示す長期記憶と織り交ぜて判断しているのです。例えば、新しい商品に出会った時、その時の見た目や手に取った感触などともに、既に知っている競合商品との比較や友人から事前に聞いていたコメントなどを思い出しながら評価を下すはずです。いわゆる「情報処理モデル」理論の考え方です。
一方、センサリーマーケティングは、消費者の感覚レジスターを通っても短期記憶に入らず、いきなり無意識のうちに『行動』を引き起こしてしまうという点が大きな特色です。お客様はコントロールされているという認識がないまま、無意識に影響を受けているのです。
この五感のうち、「視覚」に訴えた実験についてご紹介します。新型コロナウイルスが猛威を振るっている時期に、店舗の照明の色温度がソーシャルディスタンスに与える影響について調査しました。これは、レジの待機列で密にならないように、照明の色温度を変えることによって、人と人との間隔がどのように変わるかについて調べてみようというものです。その結果、暖色のときは人との距離が離れ、寒色のときは反対に距離が縮まるということがわかりました。つまりレジの待機列の照明は暖色のほうが、お客様どうし距離をとってもらいやすいということになります❶。
なぜそうしたことが起きたのでしょうか。これはさまざまな観点で説明をしなければなりませんが、そのうちの一つに、「コンタミネーション」の視点があります。コンタミネーションとは混入、汚染といった意味ですが、人は暖色系の空間の中にいると、雑菌やウイルスが自分に移るのではないかという意識が高まったからだと考えられています。
このように、知らず知らずのうちにお客様の行動に影響を及ぼしているのが、センサリーマーケティングです。これは本人が意識せずとも行動してしまうという、行動経済学の「ナッジ理論」と相通じるところだと思います。
―知らず知らずのうちに五感を刺激されて、その影響により本人の意図しないところで誘導されているのは驚きですね。それでは、このセンサリーマーケティングはいつ頃から注目されていたのでしょうか。
五感全体に訴えかけるセンサリーマーケティングは2000年頃から注目されていました。ただ、それぞれの感覚を個別に見ていくと、嗅覚に関わる香りのマーケティングは1990年代、聴覚に関わるBGMのマーケティングはさらに以前の1980年代から盛んに研究されています。
香りに関する有名な研究をご紹介します。1990年代後半にラスベガスで実施された調査で、とあるカジノで2種類の香りを流したところ、香りAを流すとスロットマシンの売上が伸び、香りBを流すと金額が変わらないというものです。事前の調査ではどちらも快適な香りとされ、好ましさに差はありませんでした。実験では、使用された香りの種類は明らかにはされていませんが、どちらも合法的な香りで、人を興奮させるようなものではない。しかし、スロットマシンの売上につながる香りとそうでないものがあるということが分かったのです➋。
それ以前の香りを使ったマーケティングといえば、店舗においてコーヒーの販促のためにコーヒーそのものの香りや、香ばしいパンの香りを流すといった、そのものずばりの香りを用いて嗅覚に訴えていました。しかし、カジノやギャンブルといった場所や行為には、特定の香りはありません。この研究から、商品やサービスに結び付いていなくても、効果的な香りがあることが明らかになりました。つまり、ある種の香りを嗅ぐことによって、人々は知らず知らずカジノに興じるよう誘導されることがわかります。
―私たちUSENは、店舗や施設にBGMや音といった五感のなかの「聴覚」に訴えるサービスをお届けしています。聴覚という刺激について、くわしくお話をお伺いできますでしょうか。
店舗における音楽、いわゆるBGMについては以前から注目されており、センサリーマーケティングのなかでも最も重要視されている変数です。まずテンポに着目してみると、店舗でゆったりとしたスローテンポのBGMをかけたときの方が、アップテンポのBGMのときよりもお客様の滞在時間が長くなるという1980年代の古い研究があります❸。また店内に流すBGMの種類によっても、売れる商品が異なるという結果もあります。例えば、ワインショップのなかでクラシック音楽をかけると、高いワインが売れ、ポップスをかけると安価なワインが売れる。同じ店舗においても、BGMの違いによって売れる商品に差が出ました❹。要するに、流す音楽によって売れ筋商品が変わってしまうのです。さらに同じポップスでも、フランスの楽曲を流すとフランス製ワイン、イタリアの楽曲を流すとイタリア製ワインが売れる、ということも起きています❺。このように、BGMを用いたマーケティングは昔から注目されています。
近年ですと、BGMはもっと“変化球”として使われています。例えば、ショッピングモール全館で流れているBGMと、そこに入っている特定の店舗のBGMとの関係はどうなっているのか。同じ楽曲が流れていたとしても、使用されている楽器の違いやピッチの違いによって、消費者の行動は影響を受けそうです。全館で流れている曲のピッチよりも、特定の店舗で流れている曲のピッチが高ければ、気持ちが明るくなったりして、同じ商品でも明るい色のものを選ぶかもしれません。
アメリカの大学で行われた、ある有名な研究をご紹介しましょう。店舗ではそこで流すBGMのピッチの高低を変動させ、健康食品の売れ行きが変わるかどうかを調査しています。すると、ピッチが高いときは、健康に良いとされるライ麦のクッキーが売れ、ピッチが低いときはチョコチップクッキーが売れるという結果が出ました。これはなぜかというと、高い音は“ピュア”“純粋”“神々しさ”を感じると言われており、高い音域の音を聴くと、道徳心があおられ、健康的なライ麦のクッキーが選ばれたと考えられます➏。日本ではこのような実験は行われていませんが、恐らく同じような結果が得られると思います。
かつてはBGMの種類やテンポというわかりやすい違いが用いられていましたが、先述したようにピッチという変数が登場するなど、BGMの使われ方は明らかに複雑化しています。
五感の組み合わせについても注目されるようになっています。例えば、どの香りとどの照明の相性がいいか。相性のいい香りとBGMの組み合わせなども解明されつつあります。
聴覚と視覚については、比較的イメージしやすいと思います。例えば、うすいピンクや黄色といった明度が高い色は高音、黒やダークブルーといった明度が低い色は低音、がそれぞれ連想しやすいと思います。美術についても、暗い雰囲気の絵画には暗い音楽が、明るい雰囲気の絵画には明るい音楽がふさわしいと考えられるでしょう。ただ、それらの感覚同士をどう組み合わせると、消費者に何を引き起こすのかという点はまだ詳しくわかっていません❼。
―様々な研究事例を交えて、本理論について教えていただきありがとうございました。最後にひとことお願いいたします。
これまで、センサリーマーケティングの歴史や、センサリーマーケティングが何を導くのかについてお話してきました。
私が所属する早稲田大学は、USENとともに「新しい閉店音楽の研究」を行いました。この研究では、「閉店音楽」としてのふさわしさなどを心理学的に検討し、店舗の閉店時間をさりげなくお客様にお知らせし、快く帰っていただけるような音楽を制作しました。音楽という聴覚に訴えかける取り組みなので、これもセンサリーマーケティングの一種と言えます。
先述した通りBGMは最も古くから研究され、実際に使用されている刺激です。さまざまな知見を踏まえて、BGMは店舗の空間づくりにおいて欠かせないツールと言えるでしょう。
早稲田大学マーケティング・コミュニケーション研究所長
恩藏直人教授
早稲田大学商学学術院教授。早稲田大学商学部卒業後、同大学院商学研究科へ進学。博士(商学)。専門は、マーケティング戦略。著書には『コモディティ化市場のマーケティング論理』、『コトラーのマーケティング4.0』(監修)、『マーケティングに強くなる』など。
参考資料:
❶ | テレビ東京「日経スペシャル ガイアの夜明け」(2021年4月23日放送). |
❷ | Hirsch, Alan R.(1995),“Effects of Ambient Odors on Slot-Machine Usage in a Las Vegas Casino,” Psychology and Marketing, Vol.12, No.7, 585-594. |
❸ | Milliman, Ronald E. (1982), “Using Background Music to Affect the Behavior of Supermarket Shoppers,” Journal of Marketing, V ol.46, No.3, 86- 91. |
❹ | Areni, Charles S. and David Kim (1993), “The Influence of Background Music on Shopping Behavior:Classical V ersus Top- Forty Music in a Wine Store,” Advances in Consumer Research, V ol.20, 336- 340. |
❺ | North, Adrian C., David J.Hargreaves, and David Mckendrick(1999), “The Influence of In- Store Music on Wine Selection,” Journal of Applied Psychology, V ol.84, No.2, 271- 276. |
❻ | Huang, X., & Labroo, A. A. (2020). Cueing morality: The effect of high-pitched music on healthy choice. Journal of Marketing, 84(6), 130–143. |
❼ | Sunaga, Tsutomu, Naoto Onzo, and Mime Yabuno (2024), “How Sequential Exposure to Musical Pieces Affects Consumers' Crossmodal Associations Between Pitch and Brightness,” Proceedings of 2024 AMA Winter Academic Conference, 35, 282-286. |