Column コラム

公開日: 2025.03.26
更新日: 2025.03.26
行動遺伝学から見る、リズム感とは(前編)
慶應義塾大学の安藤寿康教授に、音楽の基本要素の1つである「リズム感」と遺伝の関係についてお話を伺いました。
得意なこと、あるいは不得意なことに出会ったとき、両親や祖父母から受け継がれた遺伝的な影響について考えたことはありませんか。音楽の基本要素の1つである「リズム感」を切り口に、遺伝や才能について、行動遺伝学者で慶応義塾大学の安藤寿康教授にお話を伺いました。
―まず、今回のテーマである、リズム感についてお話を伺わせてください。リズム感と遺伝に関わりはあるのかどうか、お聞かせいただけますでしょうか。
多少なりとも、影響はあると考えられます。実際に、リズム感とそれに関わる遺伝子を特定する研究は行われています。
まず、リズム感というものは2つに分けて考えられます。1つはリズムを自身で感じる=perception、もう1つは聞いた音のとおりに自らトントンとリズムをとることができる=productionです。
リズム感に関わる研究について2つほどご紹介します。1つ目は、ある音を聴いてその音とおりに叩けるのか、productionの正確さをテストするというものですが、遺伝率の視点で見てみると、13%〜16%とサンプルによってばらつきがありました❶。
もう1つは、成人の音楽の才能について、遺伝子とリズム感の関わりを調べた研究で、perceptionの遺伝率は31%でした。これは研究としてはありきたりな数字ですが、一方でこのperceptionのポリジェニックスコア*は β = 0.11でした。この数字はある程度、統計的に遺伝の影響が及ぼされていると言える結果でした❷。
このようにポリジェニックスコアを出せるということは、今後唾液を採取してDNAの配列を見れば、リズム感に関わる潜在的な才能の得点を出すことができるかもしれません。ただ、その予測力はまだ低く、そうして算出されたリズム感得点が、どこまで本当にリズム感の良し悪しを示すかは、まだまだ断言することはできません。
*ポリジェニックスコア・・・遺伝子に関わる体質や病気を数値化したもの。
―次に歌唱力についてお尋ねしたいと思います。例えばカラオケでは、歌詞を見ながら正確にメロディとリズムをとらなければ、気持ちよく歌うことができません。やはり歌唱力とリズム感には関係があるのでしょうか。
カラオケには前頭前野にあるワーキングメモリ、つまり一般知能の中核が関係してきます。ワーキングメモリとは、情報を決まりに従って正確に処理する能力を指します。カラオケでは、音や音楽が聞こえてくるし、モニターに歌詞が流れてくるし、しかも映像までありますよね。カラオケで歌を歌うときには、いっぺんにたくさんの情報を処理しなければなりません。そういった多くの情報を受けとるなかで、メロディに合わせて歌を正確に歌わなければならないので、ワーキングメモリが関わってくると考えています。正確なリズムで歌うというリズム感もそこで処理されていると考えられます。
私は、とあるテレビ番組に出演した際に一卵性のふたごについて調査をしました。複数のふたごをそれぞれ1人ずつ別々の部屋に分け、行動を観察したところ、2組のふたごは、別室に分かれてもカラオケ機器で同じ楽曲を選曲し、しかも歌い始めで音を外すところも同じ、ということがありました。それがすべて遺伝によるものとは言い切れませんが、その可能性があると私は考えています。
一方で、美空ひばりさんや宇多田ヒカルさんといった突出した歌唱力がある人は、遺伝に関わってくるのは確かです。基本的には、才能がなければ素晴らしい歌唱力の持ち主になれないということが、行動遺伝学者の立場として言えます。
しかし歌唱力と遺伝が関係するにせよ、「これが歌唱力のある人の遺伝子の特色です」と断言できるほど研究が進んでいるかというと、そうとは言えません。「歌唱力」というものは例えば、身長やIQと同様に、おそらく数千個のDNAの組み合わせから成り立つものと考えられます。身長の高さについても、背骨の一つひとつがどのように組み合わさっているか、内臓がどのように体内に配置されているか、といったさまざまな要素で構成されています。それには1万2000個のDNAが関わっているといわれており、簡単に説明ができないのです。IQではいまのところ3900個程度の関連が指摘されています。定義や測定の難しい音楽的な才能が、身長と同じようにとてつもなく複雑な遺伝子の絡み合いによってもたらされているのは間違いありません。
―親が音痴でも落胆することはないということですね。同じ「音痴」といえば「運動音痴」という言葉が連想されます。例えば、「跳ぶ」といった運動は、リズム感と通ずるところがあるかと思います。運動神経とリズム感、この2点について共通することがあれば教えていただけますでしょうか。
運動神経とリズム感は、一般的に前頭前野を使うワーキングメモリ、特に異なる情報を統合する認知能力と関わっていると思われます。ワーキングメモリが高い人は、決まったパターンで時間を刻むというリズム感の能力を、身体運動と結びつけることができれば、音を出す行動-これも身体運動によるものですから-と結びつけることもできる。そのために運動神経の良い人は、低い相関にはなりますが、リズム感も良いということがあると思います。そして音楽で発現したリズム感が運動でも発揮されるようになるということはあるでしょう。バレエやフィギュアスケートといった音楽が流れる芸術やスポーツは直結しそうですが、音楽が流れないとしても陸上競技のハードルや走り高跳びもリズム感に関係していると考えられます。
なお、ワーキングメモリは、例えば仕事での情報処理や事務作業を正しく行うための認知能力とも関係していますので、おそらくですが、リズム感は一般的な仕事の能力とも関わってくる可能性はあります。
ただし、音楽におけるリズム感は特殊です。歌が上手い人は楽器もそこそこでき、ピアノが弾ける人はヴァイオリンも弾けるといった、一般的な音楽的才能が基本にあります。その上にリズム感、そして楽器やジャンルに特異な遺伝的才能が付加されるのでしょう。
―リズム感はワーキングメモリ、つまり認知能力が関わるものなのですね。それでは幼児期の頃からいろんなことを体験させていくうちに、認知能力が鍛えられると同時にリズム感も鍛えられるのでしょうか。
音楽に限らず、幼児期にいろんな教育や体験をさせる議論については、世間一般でよく言及されています。でも幼児教育や習い事は星の数ほどありますよね。例えば「生け花」をとってみても、もしかしたら花を活ける行動にリズムを感じる人がいるかもしれません。そういう人はなんでも「リズム感」に繋げられるかもしれません。逆に「幼児期にいろんなことを体験させる」からといって、それが認知能力やリズム感の訓練に必ず直結すると考えるのも現実的ではないと言えます。「鉄は熱いうちに打て」という言葉がありますけれども、その言葉どおりに、子どもの頭や心が柔らかい時期に何かを学習させたり訓練させたりすれば、訓練どおりに育って大人になるということは、実は行動遺伝学的には間違っている、と言えます。なぜなら人間は打てばどんな形にでもなる「鉄」ではなく、だんだん遺伝子の導く形に向かってゆく形状記憶合金のようなものだからです。
それはなぜなのか。リズム感に特化したものではないのですが、広く言語や認知能力に対して、ふたごの子どもたちがどのようにその能力を発達させるかに関する行動遺伝学の研究をご紹介します❸❹。
この研究で分かったことは、言語能力に関しても認知能力全般に関しても、児童期の時点では遺伝子の影響は小さいか、ほとんど関係ないということでした。子どもたちの学習する文化的内容は、音楽やその他の分野の種類は問わず、入り口は環境、とくに家庭環境から入ります。しかしひとたび音楽や習い事を始めてしまえば、そのあとどのくらい続けてその能力を伸ばせるかということは、半分くらいが遺伝に関わってきます。またあとでも述べるように、家庭や身近な環境にその入り口がなかった人でも、もしあることに素質があれば、これだけ情報が豊かな社会のことですから、家庭以外のどこかで、自分の素質をくすぐる環境と出会えます。この遺伝の影響は年齢によって異なり、大人になると遺伝の割合が高くなります。繰り返しになりますが、子どものころは環境要因が大きく、親が学ぶ環境を与えると、与えない場合に比べて鍛え甲斐があるように見えますが、このとき遺伝的才能はまだ発現していません。
しかし児童期を超えて思春期くらいになると、だんだんと自分自身の意思で行動を決めるようになります。自分の好きなものに賛同してくれる友人ができたり、好きなアーティストのコンサートへ行ったり、好きな音楽をダウンロードしたりしますよね。そういったことを通じて自分の能力を自分自身で磨けるようになると、相対的に遺伝の影響が徐々に出てくるのです。遺伝というものは形状記憶合金のようなもので、鉄のように叩いたらその形になるものではありません。叩いた瞬間はその形になるかもしれませんが、段々と遺伝の影響を受けて自分自身の形になっていくのです。
そのため、良い音楽環境を子どもの時に与えて、リズム感を育み将来は音楽家になってほしいなどといった下心は、あまり強くは持たないでほしいと思います。あくまで親が子どもに良い環境を与えること、それ自体に価値があると言えます。そこから先、その経験をどう生かすかは子ども本人にかかってくると割り切ってあげると良いでしょう。どんな習い事に対しても、「幼少期から始めているわが子のほうが、やっていなかった子よりも先にスタートラインに立っているのだから、才能や成績が伸びるはず」と思っていると報われない可能性があります。素質がある子が後から始めて、先にやっている子が抜かれてしまうということはよくある話なのです。
―リズム感に限らず様々な能力は、幼児期のうちは環境要因が大きく、児童期を超えると遺伝要因が強くなる、ということは確かに納得できます。それでは音楽そのものと遺伝についてお話をお伺いできますでしょうか。
最近ではレストランでも喫茶店でも、どこでも音楽を耳にしますよね。1日のうちに音楽に触れない人はほとんどいないと思います。おそらく人類史を振り返っても、こんなに音楽が街中に溢れかえり、音楽に触れる時代はなかったのではないでしょうか。
現代の日本では、必ずとは言い切れませんが、1家に1台は家庭にテレビがあると思いますので、それを通じて音楽に触れることはできるでしょう。「楽器を用いて音楽を演奏する」という行動に対しては、個人差や家庭環境の差が生じてしまいますが、「音楽を聴く」という行動に対しては、よっぽどの劣悪な環境でない限りは、どんな家庭環境で育ったとしても差があまりないと言われています。
行動遺伝学においては、調査対象者が平均的な環境で育っていることを想定しています。これはどういうことかというと、よっぽど酷い虐待を受けていたり、著しい貧困状態にあったりということでなければ、例えば音楽だったり、スポーツだったり、アカデミックなものだったり、そういった文化領域に対して、誰でもアクセスできるということを指します。つまり、一般的な家庭で育った人であれば、見聞きしたものから、才能が触発されるのではないかということです。
繰り返しになりますが、子どもの頃は自分が置かれた環境によって、そこが入口になりますが、成長して段々と個人の行動の自由度が増すと、自分で自身の才能に気づくことができる可能性が高いのです。
後編はこちら
参考資料:
❶ Maria Niarchou , Daniel E Gustavson , J Fah Sathirapongsasuti , Manuel Anglada-Tort , Else Eising , Eamonn Bell , Evonne McArthur 3, Peter Straub ; 23andMe Research Team; J Devin McAuley , John A Capra, Fredrik Ullén , Nicole Creanza , Miriam A Mosing , David A Hinds , Lea K Davis, Nori Jacoby , Reyna L Gordon (2022),“Genome-wide association study of musical beat synchronization demonstrates high polygenicity”
❷ Daniel E Gustavson, Peyton L Coleman, Youjia Wang, Rachana Nitin, Lauren E Petty, Catherine T Bush, Miriam A Mosing, Laura W Wesseldijk, Fredrik Ullén; 23 and Me Research Team; Jennifer E Below, Nancy J Cox, Reyna L Gordon(2023), “Exploring the genetics of rhythmic perception and musical engagement in the Vanderbilt Online Musicality Study”
❸ Fujisawa, Keiko K & Juko Ando(2009),”A twin study on logic and sensibility in early childhood : findings from univariate behavior genetic analyses. “
❹ Fujisawa, Keiko K & Juko Ando(2009), “Behavior genetic analyses for cognitive development in early childhood : comparisons between 42 and 60 months”
キーワード:遺伝・リズム感・才能・ワーキングメモリ・子ども
慶應義塾大学 安藤寿康名誉教授
1981年慶應義塾大学文学部卒業、1986年同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。2001年同大学文学部教授、2023年慶應義塾大学文学部名誉教授就任。主に双生児法による研究を行う。専門は教育心理学、行動遺伝学。著書に「日本人の9割が知らない遺伝の真実」「教育は遺伝に勝てるか?」などがある。