Column コラム

公開日: 2025.03.26
更新日: 2025.03.26
行動遺伝学から見る、リズム感とは(後編)
慶應義塾大学の安藤寿康教授に、音楽の基本要素の1つである「リズム感」と遺伝の関係についてお話を伺いました。
前編では、音楽的才能は幼児期においては環境、児童期以降は遺伝の関与が大きいというお話を伺いました。それでは、遺伝的才能がない人は音楽やスポーツを楽しめないのでしょうか。前編に続き、行動遺伝学者で慶応義塾大学の安藤寿康教授にお話を伺いました。
―著名なミュージシャンやアーティストに焦点をあててみると、一族で音楽にまつわる職業に就いている方も多いと思います。これは遺伝要因もありつつ、環境要因によってもその道へ導かれているということでしょうか。
おっしゃるとおり、遺伝と環境の両方にあると言えるでしょう。どちらかだけの要因だと成り立たないと思います。
音楽家一族としてはバッハ家が有名で、「大バッハ」=ヨハン・セバスチャン・バッハを筆頭に何人もの音楽家を生み出しています。特殊な話ですが、こういう一族に生まれたならば、ある意味、誰でも職業音楽家になれてしまいます。オルガンを弾ける環境でなければ、そもそも音楽を作れないですし、音楽家にはなれません。楽器を持たない普通の農民がオルガニストにはなれませんからね。そういった環境が一族で伝承されていき、そのなかで個人差はあったとしても、そういう環境で育ってこなかった人よりは、音楽家になれる確率は高いと言えます。歌手や音楽家を親に持つ子は、親が歌ったり演奏したりする環境が身近にあるので、きっと自然に影響が及ぶことでしょう。また音楽家の両親からその才能が子どもへ遺伝的に受け継がれたら、その子も音楽的才能が開花する可能性があります。これは歌舞伎のような伝統芸能や大工、表具師、畳職人、そしておそらく農業や漁業のような体を張った生業では今でもあることだと思います。
こういう話をすると「母親である私は音痴だし、夫にはリズム感がないし、うちの子たちには音楽の才能を期待できないかもしれない」と絶望してしまうかもしれませんが、それは早計です。遺伝は、直接的に子どもたちに伝わるだけではなく、遺伝子の組み合わせ方によっては、ひょっとしたらものすごい才能が目覚める可能性があるからです。よって早々に諦める必要はないと私は思います。もちろんその逆もあるわけで、両親とも才能豊かな音楽家として活躍していても、子どもが遺伝的には音楽に向かない組み合わせになってしまうことだって、一定の確率であり得ます。
―今まで幼児期から思春期までの子どもたちの遺伝や才能にまつわるお話をしていただきました。それでは、大人になってからではリズム感や歌唱力といった音楽的才能を伸ばすことができないのでしょうか。
音痴は治せるといいます。実は私はボイストレーニングを受けたことがあります(笑)。当時の講師は「音痴は生まれつきではありません」とおっしゃっていましたが、確かにトレーニングに通っていた頃は、通う前より高い音も低い音も声が良く出るようになり、それで音程がとりやすくなったと思います。同じように、リズム感に特化したトレーニングジムがあるとして、そこでトレーニングをずっと続けていれば、リズム感のコツを身に付けられると思います。しかしその才能が、その人の人生に定着し、いつ歌ってもノリノリで歌えるようになるかどうかについては、保証はできません。これはあくまで予想ですが、トレーニングを続けなければ、もともとその人が持っている遺伝的な能力値に戻ってしまうと思うのです。もともとリズム感がある人や歌唱力の高い人は、トレーニングを受けたり、スクールに通ったりしなくても、元から才能があるのでいつでも上手に歌えるのです。ちなみに私はそのあとトレーニングを続けなくなってしまいました(笑)(その時トレーニングを受けていた友だちの11人は、そのあとも続けて、なんとソロリサイタルを開くまでになりました。これが素質の違いです)。習い事を続けるか否かは先程も述べたとおり、遺伝に関わってくるのです。
ところで「カンパネラおじさん」こと、海苔漁師の徳永義昭さんをご存じでしょうか。フジコ・ヘミングの「ラ・カンパネラ」に感化されて以来、52歳から約10年ものあいだ、ひたすらこの1曲だけを練習してとても上手に弾けるようになりました。彼はフジコ・ヘミングの演奏に感動して以来、仕事の合間を縫って、1日の多くの時間をこの曲の練習に充てていたそうです。
人間は、実は遺伝子は99.9%、みんな同じものを持っているのです。よって、徳永さんのように一念をもって何か1つのことを続けることができる人ならば、このような能力が目覚める可能性があるのです。大谷翔平選手にはなれずとも、草野球で活躍したり楽しんだりするレベルになれる素質は誰しも持っています。大事なことは、この「一念」をもてることにどのように出会うかということで、これは科学的に解明できない、「運」あるいは「偶然」のなせる業だと、今のところは言わざるをえません。
―今のお話を伺って、「カンパネラおじさん」こと徳永義昭さんが約10年の間、ずっと同じ曲を弾き続けた「努力」というものが気になりました。努力は才能だったり、遺伝によるものだったりするのでしょうか。
遺伝に関係ないものはありません。どんなものであったとしても、その人が何かを「やる」ということの根源は、遺伝だと思っています。遺伝を引き出す環境や状況に出会ったから、そういう結果に繋がったと言えます。「ラ・カンパネラ」を聴いた人は星の数ほどいると思いますが、カンパネラおじさんが自身で弾けるようになるまでずっと努力ができたのは、カンパネラに一念を注入できてしまう独自の遺伝子の組み合わせが関わっているのです。
心理学的には、努力のタイプには三種類あると考えられています。1つ目は一定の期間、特定のことに対して頑張る努力です。これは一般的な努力としてイメージされるものです。本当は今それをやりたくないがやらなくてはならない状況における行動や、ある目的を達成するために必要に迫られてやらざるを得ない行動を指します。この行動をとっているとき、ワーキングメモリが活性化していて、同時に自分自身をコントロールするいわゆる「メタ認知」にも働きかけています。「本当は遊びたいのだけど、今は勉強しないといけない」と自分を律することができるのです。ただしワーキングメモリは、「やらなくてはいけないとき」の一時的にしか効きません。
2つ目はパーソナリティとしての努力です。1つ目の頑張る努力というものは一時的なものですが、この努力はその人の持ち味やキャラクターとして、何に対してもコツコツと物事に取り組める特性を持つ人を指します。世の中にはコツコツとやることはカッコ悪いという人もいれば、反対にきちんとやるほうが良いと思っている人もいます。ここでは、後者のまじめに取り組めるタイプの努力家を示しています。
最後は、「天才」とか「才能のある人」と言われている人の、ある特定の領域に関わる、一見「努力」に見えてしまう特殊な行動です。棋士の藤井聡太王位は将棋が大好きで、四六時中、将棋のことを考えていらっしゃるでしょう。また植物学者の牧野富太郎博士は、晩年まで徹夜をしてでも植物の研究をしていたといいます。彼らのような天才たちは、子どもの頃からその対象が好きで、己の欲するままにそれらに没頭している姿が、ほかの人からは「努力」に見えるのです。けれど本人たちにとってはそれは努力でもなく、いわば使命のような、その活動をするために生まれてきてしまったと言えるような、そういった類のものなのです。
プロのスポーツ選手や芸術家などはこの三つのタイプの努力がそろっていると考えられます。彼らでも訓練しないといけないときは訓練をしているのです。プロでもいろんなタイプのキャラクター性があるかと思いますが、普通の人よりも怠けず鍛錬を続けているでしょう。
私の敬愛する方に横山幸雄さんという天才的なピアニストがいらっしゃって、過去に彼の成育歴をインタビューしたことがあります。お話を聴いてみると、天才ははじめから世界をまったく違うように見ているようなのですね。彼は3歳か4歳くらいのときには、巨匠の弾くベートーヴェンをレコードで聴いて、「僕だったらこう弾かずに、こう弾くのに」と考え、さらには「たぶん指はこうして動かしているのではないか」という演奏のイメージまで明確にもっていたようです。天才と呼ばれる人は何かに“波長”が合ってしまうと、それに対する才能が子どもの頃から発現してしまうのかもしれません。これは検証が難しいのですが、誰しも生まれ持っている遺伝的素質を通じて、その人なりの世界を見ているのではないかと私は考えています。
―最後に改めて音楽のお話をさせていただきます。昨今、音楽があらゆるところで流れているというお話がありましたが、USENは多くの店舗や施設に音楽をお届けしています。街中で音楽に触れる機会があることで、音楽を好きになったり、さらには音楽的才能が発現したりする可能性があるとお伺いし、そういった点でもUSENの事業の意義を感じました。
おっしゃるとおり意義があることだと思います。音楽は有無を言わさず自己の内面に気づきを与え、そして人を幸せにします。あえて言えば「ここでは、もう少し静かになってほしい」と思うところもありますけれどね(笑)。
前編はこちら
キーワード:遺伝・リズム感・歌唱力・才能・努力
慶應義塾大学 安藤寿康名誉教授
1981年慶應義塾大学文学部卒業、1986年同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。2001年同大学文学部教授、2023年慶應義塾大学文学部名誉教授就任。主に双生児法による研究を行う。専門は教育心理学、行動遺伝学。著書に「日本人の9割が知らない遺伝の真実」「教育は遺伝に勝てるか?」などがある。